COLUMN

2025.10.06

当たり前を考える

今、そして近い将来には何が人々の基礎に織り込まれていくのだろうか?

written by 藤波 健人

最近、北海道に旅行に行く機会があった。仕事では今年何度も北海道を訪れているものの、気温が高く、北海道らしさを感じることはできていなかった。今回は、昼間こそ気温が上がるものの、湿気がなく、風が心地よい日々を過ごすことができた。その期間中、偶然にも藍製品の工場を訪れる機会があり、藍染め体験をさせてもらうことができた。

風呂敷を作成する体験では、深緑とも取れる藍の液がどっぷりと入ったバケツに、真っ白な布を沈めていく。布を浸した直後には緑色を帯びているが、それを取り出し空気にさらしていくと、酸素と結びついて色が変化していく。碧、蒼、藍─。色が深まっていく過程を目の当たりにして、その変化を含めて体験として素晴らしいものだった。訪れた工房は老舗らしく、長年受け継がれてきた技術が今も息づいていた。

藍染めの体験で感じたのは、色が変わるその瞬間だけではなく、その背後にある積み重ねられた時間と知恵、そして揺るがない技の存在だった。布を沈め、空気にさらし、再び染液に浸す─その動作は単純に見えるが、それを繰り返すことで布の奥深くにまで色がわたり、色に深みが増していく。担当してくださった方から様々な説明を聞いたが、太陽や気温をはじめとする自然と藍との関係性を語ってくれるその姿は、藍に対して正対していることの証左だった。体験と言いつつだいぶ補助をしてもらったが、そのおかげで想像以上のものができた。

パソコンであらゆるものがデジタルへと姿を変えていく今、ふと考えることがある。私たちは日本で、自力で何かを生み出すことができているのだろうか。食料やエネルギーは輸入を続け、技術は会社の存続のために外資に売却される。そして、その代わりに「付加価値」という名のもとに、余計な装飾をつけて販売する製品やサービスも少なくないと私は思う。

自分で何かを生み出すことができるということ。それは単にものづくりの話ではなく、根底に揺るがない基礎を持つということでもある。そのためには、変わらない「ベース」を固める必要がある。それは譲ってはならないし、絶えず養い続けなければならないものなのかもしれない。

私たちは便利さや効率に流されながら、気づかぬうちに基礎を手放してしまうことがある。しかし、ベースを失えばどんな付加価値を積み上げても、空洞の上に飾りを置いているに過ぎない。たからこそ、基礎を失わせしめることのない生き方を選ぶことが大切だ。時間をかえて布に色が染み込むように、自分や社会の中に核として残るものを描くことが必要なのが現代なのかもしれない。

─速さと便利さの先に、私たちが本当に残したいものは何だろうか。

2025年10月


藤波健人のコラム>>>
2024年10月以前のコラムはこちら>>>

一覧へ戻る →

ITシステムの導入や運用に関する
お困りごとがありましたら、
お気軽にご相談ください。

お問い合わせ

お問い合わせ
採用情報