先日、料理中にXO醤を切らしていることに気づいた。あの独特の旨味を家にある調味料で何とか手軽に再現できないか・・・、砂糖、醤油、酒、はちみつ、鰹節・・・。インターネットでレシピを検索し、いくつか試したが本物の味には届かない。結局、近所の店に走ってXO醤を買い直した。まあ内容物からして期待はあまりしていなかったが、かけ離れ方が想像以上でがっかり感は大きかった。
この遠回りをしながら考えていたのは、システム導入やリプレイスの話だった。

XO醤という調味料は、干し貝柱・干しエビ・金華ハム・唐辛子・ニンニクなどを長時間炒め合わせ、熟成させた結果としてあの複雑な旨味が生まれる。素材の単純な寄せ集めでは決して再現できない、「組み合わせと時間の産物」である。同じ素材を揃えても、配合と工程と熟成期間を踏まえなければ別物にしかならない。
システムも同じだ。優れたツールの価値は、機能リストの総和ではない。UIの設計、データ構造、運用知見、サポート体制、ユーザーコミュニケーション——それらが噛み合った結果として価値が立ち上がる。だから「機能だけ並べて同等品を選ぶ」と必ず失敗する。本物のXO醤と代用品の差は瓶のラベルでなはく、製造工程の累積にある。システムも同じ理屈で、見えている画面の裏側に何年分の思考錯誤が積まれているかが、本当の差を生む。ここで思考停止すれば「安物買いの銭失い」で終わる話だが、実態はもう一段やっかいだ。
安いシステムを導入すると、業務プロセスや人の習慣がそれに合わせて変化していく。データ構造も、報告フォーマットも、現場の手癖も、すべて「そのシステム前提」に最適化されていく。結果、後から正しいシステムに乗り換えようとすると、最初から正解を選んだ場合の何倍ものコストがかかる。スイッチングコストは時間とともに非対称に膨らむ。料理なら一食で気づいて引き返せるが、システムは何年も使い続ける。だからこそ、最初の選定で妥協してはいけない。
そして人は、その状況を正当化したくなる。投じた時間と費用が大きくなるほど、引き返す勇気は出なくなる。サンクコストそのものの金額は変わらないが、それを正当化したい心理的圧力は時間とともに強まり続ける。「ここまで使ったんだから」「今更変えるのは」という声が、組織の判断を曇らせていく。
「都合のいい関係」もここに絡む。「現場は今のツールに慣れているから」「契約更新した方が手間が少ないから」「導入時に世話になった業務委託先との関係があるから」——こうした事情が、客観的な判断を静かに侵食する。目の前の果実、つまり「今期の手間を減らす」「面倒な意思決定を先送りする」という小さな利得のために、長期の損失を引き受ける構造だ。これは関係性が悪いのではなく、関係性が判断材料に紛れ込んでしまうことが問題なのだ。
XO醤の話に戻れば、代用品を試した時間と材料費は結局のところ無駄になった。最初から買いに行けばよかった。料理ならその場で気づいて引き返せるが、組織の意思決定はそうはいかない。だからこそ、選定の瞬間に「これは安いのではなく、安く見えているだけではないか」と問う癖をつけたい。
本物の味は、本物にしかない。これは台所でもオフィスでも変わらない真理だ。
2026年5月