COLUMN

2025.07.28

当たり前を考える

自分の思い込みが織り込まれていることに気づくということ

written by 藤波 健人

最近、私は中国人のエンジニアと仕事をする機会があった。彼はとあるミドルウェアの開発会社から一人で派遣されてきた技術者である。この種のプロジェクトでは数名のチーム体制で参加することが多いように思われたが、彼はただ一人で現場に現れた。

最初から、彼は平易な英語で我々が理解できるように説明してくれ、その丁寧な態度に好印象を抱いていた。東アジアらしい顔立ちだったので、最初は台湾の人だろうかと勝手に思い込んでいた。しかし、話を聞くうちにどうやら彼は上海出身であることが分かった。その時、私は中国人だったのかと少なからず驚いた。日本で目立つ中国人を想像すると、個人的にはあまり良い印象を持っていなかったからだ。

彼は、我々の要望を丁寧に聴き取り、必要な対応を即座に実行した。クライアントとの接続確立に際しては、クライアント担当者や外部デバイス側の担当者と地道に調整を進め、双方にとって最適な改修内容を合意形成することに成功した。しかも、それらを主導したのは彼一人であった。プロジェクトの要であるミドルウェアの改修やテストも一人で黙々と進め、わずか二日で新たな機能実装にこぎつけていた。誰もが驚いたスピード感と完成度であったが、彼自身は「これは自分の仕事だから」と、始終謙虚な態度を崩すことはなかった。

私は思わず、自分の中の中国人像を覆された思いがした。現場では、しばしば傲慢な態度や無理な提案に直面することが多い。特にスケジュールに追われる場面では、自己主張や配慮の足りない言動も珍しくはない。そんな中で彼の振る舞いは際立っていた。矜持と責任感を持ち、静かに、しかし確実に役割を完遂する。その姿は私に「謙虚さ」という価値の強さを再確認させた。

仕事とは、単なる技術力や実行力だけではなく、周囲と信頼関係を築く力が不可欠である。謙虚であることは、時に自信がないことの裏返しだと解釈されることもある。しかし、彼のそれは違った。謙虚さを芯とした自信が、周囲の協力を引き出し、結果として大きな推進力となっていたのだ。

興味深かったのは、そんな彼が日本にいる間に明治神宮を訪れ、安全祈願のお守りを手にしていたことだ。各地を巡り、問題を解決し続ける日々の中で、どれほど知性的で冷静に見える人物であっても、やはり願いを込めるのは人間らしさの表れである。仕事はどこか天才じみた印象を持っていたが、その行動には庶民的な親しみも感じられ、思わず微笑ましい気持ちになった。

思い込みは時に人に対する印象や考えに対する視野の狭さをもたらしてしまう。今回の体験を通して、謙虚さと誠実さはその思い込みを打破するほど人々に審美を思い起させるように思われた。立場や国籍を超えて、ただ「良き仕事人」として向き合うことはどこへ行っても通じる誠実さであり、それを獲得することが人間としても器を広げる、愚直ながらも極めて真摯な姿なのだと感じざるを得なかった。

2025年7月


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