今現在、期間が7週間かつ自身初の海外出張の真っ只中である。なかなかない経験であると思うと当時に、本コラムを書くに至るまでも大小様々なことが起こったため、印象深い渡独の経験として残るだろうな、と感じている。今回はその途中経過で学習したことを書き連ねたい。つまるところ、それは「慣れない環境には慣れたものを」ということだ。
移動先は羽田からフランクフルト、そしてそれを経由したハンブルグだった。特にフランクフルトからハンブルグへ向かう乗客はほとんどがドイツ語を話す人(多国籍もいたかもしれないが)が乗っており、乗り込む自身を含めたアジア人はとても浮いて見えた。渡独前のイメージとしては、ドイツ国内で道行く人は西洋人が多く、強いて言えばトルコ系が歴史からしたらいるくらいで移民政策はそこまででもないのではと思っていた。しかし、通りを歩くと様々な出身と思われる人物とすれ違う。アフリカ系の男性やヒジャブを被ったアラブ系の女性、逆に想像通りのトルコ系と思しき人物まで、様々な人々が街で生活していた。ハンブルグからホテルへと連れて行ってくれたタクシーの運転手もドイツ語と英語を少し話せるように見えたが、運転中に仲間同士の会話しているチャットツールはアラビア文字の羅列だらけだった。彼もまた移民か移民の2世、3世なのかもしれない。
そんなことを考えられていたのは、出張における様々な手配について上司や取引先の方がしてくれたこと、そして彼らを含めた複数の日本人でドイツへ赴くことができたからだと思う。しかし、それでも私はドイツに降り立ってからの2週間、なじみのない現実の情報量に圧倒されていた。
現地タクシーやドイチェ・バーンでの移動、土足での生活や慣れない土地での買い物など、それぞれを日本で行ってもさして気にも留めないような社会的な行動が、すべて自分の中で違和感となる日々を過ごした。何が違和感かといえば、まるで日本とは異なるので形容し難いがどこか自分の中で落ち着きを保てない。気分転換や休日に外に出てみても、確かに風景として昔ながらの街並みを残しているようで写真映えするのだが、その土地を歩いても純粋に面白い、興味深いという気持ちにはなれなかった。どこか自分がいない土地に来た感覚とでも言えばいいだろうか。自分が想像していたドイツに対するイメージと現実が異なることに対するショックと、安全を一瞬脅かされたと感じた出来事があったためか、数日間原因不明の腹痛でホテルのベッドで休むことになってしまった。
ベッドの中でいつまでこの腹痛は続くのだろうと思った傍ら、とあることを思い立ち行動に移してみた。すると次の日から途端に体調が安定し始めた。それは何かというと「マクドナルドのビックマックを食べる」「持参した枕カバーを枕に取り付ける」この2つだった。この2つに共通するのは「日本で慣れているもの」ということだ。
タクシーでの移動の最中、見慣れたMマークをした看板を見つけていた。さらにホテルの部屋に着いて窓を覗くと、そこからも看板は目に見えた。そんな便利な距離にあるなら、ドイツと日本のマクドナルドの違いについて比較しよう、折を見て行ってみようと思っていた。そんな中、原因不明の腹痛に見舞われたのだった。数日が経過し痛みが少し落ち着きを見せたところ、久しぶりに夕食をとるためにホテルを出てマクドナルドに向かった。ドイツのマクドナルドでも日本同様注文パネルがあり、そこで決済すれば注文で戸惑うこともなかった。ドイツでもクレジットカードのタッチ決済が普及しているので、現金を使うタイミングは少なくて助かっている。ホテルに戻り、持ち帰った紙袋を開けると日本で見た光景と同じようなバーガーの入れ物、そして少し雑に詰められた中身が出てきた。口にしたビックマックの味は食べ慣れたものであり、自分の心に安心を与えてくれたように思う。
調べてみるとどうやらビックマックの味は「だいたい」世界共通のようである。「その味」の期待値を外さないくらいの地域的な調整が世界各地ではなされているらしいが、そのような微細な違いを感じるよりも、私のようにビックマックを海外で食べて安心感を得る日本人は一定数いるようである。下手に比較がために冒険した注文をせずによかったな、と今は過去の自分を褒めたい。もっとも、純粋にお腹が痛いという人間はもっとお腹に良いものを食べるべきで、本対処における効果は人と状況を選ぶということが注意としておきたい。
そして枕カバーについて。持参した枕カバーを持ってきていた理由としては、約1年前に遡る。気質上、元々外で用意された枕ではあまり熟睡ができず、自宅の枕でないと寝付きが良くないということを把握はしていた。旅行先や出張先のホテルの寝床ではおおよそ疲れが取れたことがなかった。そのため、事あるごとになにか手軽に睡眠の質を改善する方法はないだろうか、とぼんやり考えていた。国内出張の直前、ふと思い立ってホテルの枕に自宅で使っているカバーを付けて寝ればどうだろうか、と思い実験したみたところ、これが効果てきめんであった。その味を占め、今回も持ってきていたのだ。ビックマックを平らげた後にようやくそのことを思い出し、すぐさま枕に持参のカバーを取り付けた。ホテル滞在中、結局枕の高さや大きさを自分のものにすることはできなかったが、それでも自分の枕カバーの手慣れた柔らかさとその匂いのおかげで、普段の自分の寝床に少しでも近づけることができたのは幸いだった。
現在は別の仕事場で作業を行っている。拠点が変わったため、マンスリーのアパートメントに移った。その部屋でも枕カバーを付けて睡眠の質をなるべく良しようとしている。この土地でも近くにマクドナルドがあることを確認したので、また調子が悪くなったらビックマックを食べに行こうと内心画策している。
このような体験をしなければ、慣れない環境でコンフォートゾーンを作ることがここまで自分にとって大事なことであるとは思いもしなかっただろう。自分の過去の行動や体験の結果を織り込んだ上で、準備や行動することは案外馬鹿にできるものではないことも体感できた。自分が「慣れている」ものは、見知らぬ土地で不安やストレスに襲われた時、自分の心の安定を素早く回復、または獲得しやすくなるツールなのだ。
用心深い方は特に、馴染みのない海外や土地に行くことになったら、お気に入りで毎日使っているもの、またはそこまでいかなくても自分の心に留まっているものを持っていくと良いだろう。生活に根ざしているものだとなお良いと思う。スマホなどのデジタルなものではなく、人間の衣食住に関わるアナログなものが馴染みやすいだろう。持ち物ならタオルやハンカチ、食べ物なら味噌汁やパックのご飯など、個人の好みや傾向に合わせて考えてみるのも良いだろう。拠り所を作ることは心細くなった人間の心をほぐしてくれると私は思う。思いがけない出来事があったときの安寧は思ったよりも身近なものがもたらしてくれる。
それ故、何か自分にとって負荷のかかることがあった際は、コンフォートゾーンを作りそこで休養・回復し、そこから一歩出て適応を始めていく。そしてその繰り返しをすることが、自分の身の丈にあった戦略なのかもしれないと感じている今日この頃である。
2025年3月