COLUMN

2024.10.16

当たり前を考える

「繰り返し触れること」について

written by 藤波 健人

 

今現在、私は日本で初めて導入されるだろうソフトウェアを取り扱っており、クライアントの業務要件などと合致するかを確認する日々を過ごしている。その中で、改めて「繰り返し触れること」についての重要性を感じたので書き記していこうと思う。

携わっているソフトウェアは海外のパッケージ製品のため、すべてが英語で記載されている。膨大な分量の説明書、特有の概念、説明書のバージョンと実際のソフトウェアの仕様の違いなどなど。今となっては全容が見てきていることは多くなってきたし、確かに色々なことができることはわかった。しかしながら、クライアントが業務で使用できる機能はなかなか見当たらないため、その一部の機能は別のソフトウェアで代替することになりそうだ。

私はこのソフトウェアについて、出会うまでどんな存在なのかすら知らなかった。簡単な英語は読むことはできるものの、膨大な説明書を読み取るにはかなり苦労した。また、職務にアサインされた初期の頃は当該ソフトウェアを十全に使うことはできない環境が不遇に続き、全容の理解に苦しんだ。この期間でGoogle翻訳とお付き合いをし、知り合い程度にはなれたと思う。初期ではこのような膨大な資料を含んだソフトウェアを理解できるのかという疑いばかりをもっていたものの、現在はある程度説明ができるほどにはなった。この結果の要因は「繰り返し触れること」にあったと思う。

私は幸運なことに毎日説明書を読み漁り、途中からではあるがソフトウェアを操作することができた。
第一にここに「単純接触効果」が現れていたと考えている。元々私はこのソフトウェアについての関心はなかったに等しいが、毎日それに触れることによって、様々な機能に対して興味を持つようになっていった。どのような機能があるのかを追求することで、クライアントが実現したい事項と合致する機能を見出していくことができた。

第二に、結果としてソフトウェア周辺に関する機能の記憶を保持することが容易になった。「エビングハウスの忘却曲線」で表されるように、自身に対してあまり関連性のない事項を記憶した場合、短期間で反復することによって記憶の定着がされやすくなる。まさに始めはしどろもどろであったし、あまり興味が湧かない中での取り組みであったのだ。単純接触回数が多かったことに加え、同僚や上司にそのソフトウェアの機能について尋ねられることもあった。その結果自分が想定していなかった業務事項を確認しつつ、既存の記憶の振り返りも行うことができた。1点に集中してしまうと思考が挟まってしまうので、その疑問や質問は理解の一助となった。

第三に「インキュベーション効果」が働いていたと考えている。当該ソフトウェアは各業務で使うモジュールの集合体になっており、各モジュールを単体もしくは同時並行で起動させながら使うような仕組みを取っている。モジュールに対して細かな説明書がついている関係で、それぞれを読むのに一苦労する。しかしながらそれぞれが基本的な情報以外は独立した機能として存立してくれているおかげで、とあるモジュールの内容の理解ができなければ、別のモジュールの理解を試みる、というような取り組みが可能だった。今もなお、クライアントの業務として実現したい仕組みとそのソフトウェアを比較しながら、元々ある仕組みをそのまま実現できるのか、代替手段で実現できるのかを試行錯誤している。様々な問題を理解し、解決することに今もこの効果を実感しているところだ。

ひどく当たり前のことを書いているかもしれない。「繰り返し触れること」は様々なことの強化子になることは言うまでもない。だが、手早い答えを求める時代になった中で、地道なことの繰り返しが軽視されつつあるのではないだろうか。今後も変化が見込まれる将来においても、地道に「繰り返し触れること」の大切さは忘れないようにしたい。

 

2024年10月


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